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今回はちょっと毒を吐きます。

批判もあるかもしれませんが、私は障害者を表現するのに障碍者と書いたり障がい者と書いたりしてむやみやたらに差別用語を強調したり回避しようとしたりする風潮が嫌いです。

 

障害者?障碍者?障がい者?差別用語はどれだ?

 

「害」と「碍」と「がい」の違いなのですがこんなのただ単純に字が違うだけじゃん。

 

それを取ってつけたようにテレビのワイドショーで

「いや平仮名で「障がい」と書くべきですよ!だって「障害」と書くと「害」って酷い字だから使ってはダメなんですよ」

とかしたり顔でいうコメンテーター。

 

何様だよオマエ

 

いくら表記を変えたって、お前らだって話すときは

 「しょうがい」

 って発音してるんだろうが。

 

といつも憤慨してます。

 

表記だけ変えたって駄目でしょ。

こういうどうでもいいような細かいところに反応して字面がダメだとか酷い言葉だとか言う時点で意識がもう完全に上から。見下してます。

 

私だけかもしれませんが、はっきり言って多分多くの障害者の皆様方は、そんな言葉の違いなど全く気にしていないと思います。

 

障害は害の字を使っているから駄目だとかそんなこと

 

どーでもよくねェ? 

 

字面なんか気にしなくていいからもっと気を遣うべきところが他にあるだろう。

 

差別は差別を意識する人が作り出すものです。

差別差別と騒いでいる人たちこそが差別主義者です。

 

 

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差別用語というのは風土で生まれる?

ところで私の出身地は現在こそ統合合併で○○町になりましたが、生まれてから高校出るくらいまでずっと○○村でした。

で、村とか田舎とかって大抵細かい風習とか用語が残ってるんですよね。

明治生まれや大正生まれの方々が普通にいた時代ですから、当時は当たり前のように使っていた言葉や呼び名が数多く残っているんです。

 

例えば「部落」という呼称。私が小学生くらいの頃は普通に使われていました。

住んでる地域によって○○部落△△部落と呼んでいたのです。

村民運動大会などがあるとこういう部落別に得点を競ったものでした。

 

ところが小学生の頃でしたか、当時の担任女性教師が言った事を今でも覚えています。

 

「部落って言葉は差別用語なんだよ!だから使っちゃダメ!」

 

小学生ながら酷くショックを受けたのです。

サベツという言葉が良くないものだということだけは知っていた年齢でした。

 

そもそも小学生の頭にただの呼称を差別用語として使っていた意識自体がない。ただ単にそう呼んでいるから使っていただけです。

しかしここで

「部落という言葉は差別用語」

という意識が刷り込まれてしまいました。

 

誤解の無いように言っておきますが、当時の村内で使われていた「部落」はいわゆる同和問題とかそういう被差別部落民を指す用語ではなく、単純に「集落」という意味の「部落」でした。

 

自宅に帰って祖父に話しました。

「部落って言葉はサベツだから使っちゃいけないんだって先生が言ってたよ」

 

そしたら祖父は悲しそうにこう呟きました。

「おじいちゃんの頃は今ほどお家が建ってなかったから、みんなの集まりを地域で分けて呼んでただけなんだけどねえ。差別って何を根拠に差別って言うのかねえ」

 

もう数十年前の話ですが、なぜか今でもよく覚えています。

 

結局のところ、子供にとって絶対的な存在である教師が、勝手に差別用語だと定義してしまった事からその呼称は私たちの年代には完全に差別用語として扱われるようになってしまい、現在では部落の呼称で呼ぶことはほぼ完全になくなっています。

 

刷り込みは怖いですね。

 

日本語独特の表現が消えていく?

 

そんな中では私はよく「耳つんぼ」と言われてましたし、自分でも言っていました。

 

いつしか使わなくなった言葉ではありますが、これもやはり当時の小学校教師から「差別用語」と言われた言葉でもあります。

 

 

私自身は特に差別だと思いながら使ったことも、言われることで差別されてると感じたこともないですが。

 

 

 

むしろ子供のころ普通に言われていた私などは、「難聴者」などというよりずっと馴染みます。

「難聴」や「聴覚障害」は良くて「耳つんぼ」がダメな理由ってなんなんですかね?

 

「つんぼ」という言葉は聾と書くのですが、完全に聞こえない話せない人を聾唖者と呼ぶように、今でも普通に使われる字です。

ところが「つんぼ」という表現だけが差別用語として排斥されてしまいました。

 

解せぬ。

 

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なんの脈絡もなく登場したお猫様も困惑してます。

 

 

ちなみに「つんぼ」という言葉、元々は日本語独特の表現だったようです。

大和言葉ってやつですね。

「こよなく」とか「このうえなく」とかの表現も大和言葉ですが、今どきの「スゴイ」とか「超~」などといった表現よりずっと上品な感じがします。

とは言え「こよなく」という言葉そのものの意味は直接的にはわかりづらく、ニュアンスや雰囲気でなんとなく伝わる感じです。ここに日本独特の奥ゆかしさ、直接的な表現を好まない曖昧さがあります。美点ですが時として弱点でもありますね。

 

こうしてみると、同様に大和言葉である「つんぼ」というどこかよくわからない表現には曖昧さが返っていい表現になっているように思います。

「聴覚障害持ち」だとか「耳が不自由」だとか「耳が遠い」と直接的に表現するよりも「耳つんぼ」という方が逆に気を遣っていると感じませんか?

 

 

言葉って難しいですね。

 

 

他にも左利きを「ぎっちょ」と言ったり、他にも脚が悪くて引きずっているさまを「びっこをひく」、目が悪いことを「めくら」など祖父母が普通に使っていた言葉でしたので、特に疑問もなくそういうものだと理解してたつもりなのですが、いつの間にかこれらはすべて差別用語とレッテルを張られることに。

 

解せぬ。

 

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お猫様落ち着いてください。

 

 

さてこれらの言葉が差別用語だというのは、一体誰が決めてるんでしょうね。

 

使っている、使われている当人たちにそんな意識は全くないにもかかわらず、周りが差別だ、差別用語だと騒ぎ立てるものですからこれらの表現は次第に使われなくなっていきます。

 

言葉や表現というものはこうやって消えていくんでしょうね。

 

そしてやたらと差別という言葉だけが独り歩きをする。

 

怖いことだと思います。

 

 

そのうち「障害」という言葉すら差別だと騒ぎ立てる人がでてくるのでしょうか。

 

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