うーん、どうもやっぱり耳悪い人って性格悪くなるよねって言われることが多いですね。何故なんでしょうか。
以前にも同じような記事書きましたけど今回再び再考してみたいと思います。
聞こえなきゃ性格が悪くなっちゃうことが多いんじゃない?
こんな記事を書きましたけど、この記事実はこのブログの中でダントツに読まれている記事なんです。
それだけ聴覚障害者の性格を気にしてる人って多いんですね……。うーん、そんなに性格悪いんだろうか……。ちょっと凹みますね……。
ちなみにこの件について職場で同僚たちに聞いてみました。
やっぱり難聴者って性格悪い人多いのかな……?

……なんだか悔しかったので今回初導入してみたアイコンを猿にしてやりました。これだから性格悪いって言われるんですよね。
同僚は役に立ちません。仕方ないので仲のいい耳鼻科の先生に質問してみることにします!
質問内容はストレートにバシッと
「聴覚障害の人って診察しててやっぱり性格悪い人多いですか?」
って聞いてやりましたよ。
すると返ってきた答えは

……ぶん殴ってやろうかと思いましたがさすがに暴力沙汰はまずいので笑ってごまかしてその場をしのぎました。やっぱり悔しかったのでアイコンはカラスにしてやりました。
さて、ドクターが言うには
「性格がどうとか言うより普通の常識が通じない人が多いね」
とのこと。
あっ……。
何かスゲーしっくりきた……。
コレですよコレ。
一般常識の通じない人が多い。
要するに普通の人にとっては当たり前のことが聴覚障害者にとっては全然当たり前じゃないので、そこの感覚のズレが大きいとどうしても性格が悪く感じるってこと。
そういう意味ではやっぱり耳鼻科の先生方をして、普通の感覚で見たときに
- 我儘
- 自分勝手
- 甘えん坊
- 傍若無人
と感じる人が多い印象はあるという……。
Ω\ζ°)チーン
くそー……。
じゃあ一体何故そんな性格になってしまうんだろう?
回避する方法とかはないんだろうか?
再考・聴覚障害者の性格問題
“「聴覚障害者は性格が悪い」と言われるのは何故か考えてみた”の記事の中で、多分殆どの人にとって「一部の性格の悪い障害者」が強烈に印象深いだけなんじゃないかと書きました。
確かにそういう強烈な人が目立つことも事実ですが、よくよく考えるとそれはつまり
「実際にそういう性格の悪い人がいる」
ということに他なりませんね。
絶対数がどれくらいかは知らないけど、一般の人たちが良く言うくらいには性格が悪くなってしまう聴覚障害者がいるのはどうやら事実らしい。
では何をもって性格が悪いというんでしょう?
これが問題なんじゃないかと思うんですよ!
性格の善し悪しなんて明確な基準がないものを持ち出してきてやれ聴覚障害者は性格が悪いとか
オマエら人の事言えるほど性格善いのか?
とツッコんでやりたい衝動にかられますが言い出すとキリがないので細かいところには目をつぶって、聴覚障害者たちが性格悪いと言われる点をまとめてみることにします。
まず聴覚障害者の中でも、特に一般学校ではなく聾学校や手話で育ってきて全く口話の出来ない人に多い気がしますが、彼らの感覚はかなり独特です。
どんな感覚かというと
- とにかく我儘、自己中心的
- 「敬語」というものは存在しない
- 曖昧さのかけらもなくストレート=謙虚ってなに?状態
- サポートしてもらって当然
- 聞こえない人同士でつるんでいるとかなり結束が強い
- 聞こえる人の中にいると大人しくなる
かなりはっきり書きましたがこんな感じです。
自身以外の聴覚障害者の知人がいないくせに何を偉そうに書いているのかと思われるかもしれませんが、それでも世間一般から見た聴覚障害者は、なんとなくこんな風に思われているのです。
そしてこれらは私の同僚や耳鼻科の医師、耳鼻科外来の看護師に、歯に衣着せぬ意見ということで聞いた感想でもあります。必ずしもこんな人たちばかりではないけれど、小さいころから聞こえなかった子たちの行動や性格としては、なんとなくこういう人が多いという印象のようです。
ではなぜ私は前回の記事で「聴覚障害だから性格が悪くなるのではなくて一部の性格の悪い聴覚障害者がいるだけ」などと書いたのか?
これははっきり言って、聴覚障害者全体の中で見たときにどちらが多いかなんてさっぱり分からないからです!
それに私個人の感覚としては、やっぱり「聴覚障害者だから~」とひとくくりにされるよりは、どうしても個人個人の育った環境とか本来の性格とかいろんな要因があるよねって空気に持っていきたかったので……。すみません(;´・ω・)
でもこうやって冷静に分析すると、確かに聞こえないまま育つと聞こえる人から見たら性格が悪いなと思われるようになってしまうのかもしれませんね……。
私自身を基準に考えれば、多人数での食事やいわゆる飲み会などの席では自身の隣か向かいにいる人としか会話が成立しないため、基本的に苦痛です。
なので積極的にワイワイやるような飲み会に行きたいとは思いません。
狭い世界でそれなりに仲の良い友人とでないと会話が続かないというのは、私程度の難聴者ですらそうなのですから、生まれつきの聾唖の方だと猶更でしょう。
やはり前提として、聞こえる人との会話はお互いに理解があって初めて成り立つもので、会話あるいは意思の疎通が出来ないというのは思いのほか大きなストレスになるものです。
それでもある程度打ち解けて、それなりにやり取りをするようになると、中途半端に口話が出来る難聴者という存在は、健聴者にとって厄介な相手になりかねません。
それは、やはり聴覚障害者である以上程度の差はあれ、いくら打ち解けたところで相手の意図を汲み取ることが致命的に苦手だからです。特に一般学校などで普通の人たちに囲まれて育ってきていない人はその傾向が顕著です。
ですので、聞こえる方々からすれば
- 話が続かない
- こちらの言うことを無視する
- 意思が伝わらない
- 言いたいことだけ一方的に言われる
- 話のタイミングが独特過ぎる(割って入られる)
- 前後の脈絡が全くない会話をいきなりぶっこんでくる
と感じることが多くなってしまうでしょう。
すると、本人に全く悪意がないにもかかわらず「あいつは自己中だ」と自分勝手で我儘なやつというレッテルを貼られてしまうことになります。
ここには一つ、健聴者側の聴覚障害者に対する理解がないという問題点が存在しますが、残念ながら圧倒的マイノリティーである聴覚障害者に対する細かい気遣いまで出来る人はそうそういないでしょう……。
さらに親しくなればなるほどお互いに遠慮がなくなってきますが、一方でお互いの嫌なところが目に付くようにもなってしまいます。
そこで健聴者は聴覚障害者の聞こえない空気を理解すること、聴覚障害者は自分が一方的な発信者になりかけていることを自覚するだけでもだいぶ変わると思います。
これは健聴者と聴覚障害者の恋愛にも言える事だと思いますが、その話はまた別の機会に……。
……に、逃げたわけじゃないんだからねっ!
では何故、聞こえないと性格が悪くなってしまうのか
これは本当に難しい問題なんだと改めて感じざるを得ません。
ここは私の私的なブログですので、言いたい放題書かせてもらいますが、おそらく聴覚障害者の性格が悪くなってしまうのは8~9割方
育て方のせい
ではないかと思っています。
これは健聴者にも同じことが言えますけど、
甘やかして育てられた人間は往々にして性格が悪い
傾向がありませんか?
耳の聞こえないわが子を気にする気持ちはわかります。ですが過保護にあれこれ世話を焼いて育つうちに、ただでさえ聞こえなくて意思の疎通がしづらい聴覚障害者たちは、我儘放題に拍車がかかり、次第に
身の回りの事はやってもらって当たり前
という感覚が身についていってしまうように思います。
- 何でも自分でやらせてもらえず、何をするにも親兄弟の誰かがサポートしてしまうような育ち方をさせられてきたら、それはそういうサポートがあって当たり前という常識がその子の中に出来てしまいます。
- 一方的に行動し始めてもそれを咎めるものがいなければそうしていいのだという常識が彼らの中に生まれます。
- 言うことを聞かないのは聞こえないんだから仕方ないと親兄妹がしつけを諦めて育ててしまえば言うことを聞かなくても問題ないことが彼らの常識になります。
これは世間一般における常識とは甚だかけ離れたものです。
しかしそれも仕方ありません。
何故ならそもそも、そういう風に育てられてきた彼らの中には、こうした行動が一般的には良くないことなのだという認識すらないのですから。
ここが世間一般との大きな乖離です。
そしておそらくですが、こうやって育ってくると本人たちは聞こえないことを言い訳に使いだします。
つまり、聴覚障害者の抱える致命的な問題点は
本人が聞こえないことを武器にしてしまう
事ではないでしょうか。
まるで免罪符のように、なにかトラブルが起こると
「だって聞こえないんだから仕方ない」
と逃げてしまう。
こうした聴覚障害者独特の当然意識がいくつも重なると、やっぱり性格が悪いと思われてしまう原因になっていくのではないかと感じます。
正直に言って、聞こえないことを正当化してしまうのは、多かれ少なかれ私自身そういうところがあることを否定はしません。
私だって完璧な人間ではありませんので、やっぱりどうしてもこういう気持ちは持ってしまいます。例えば以前仕事を外されてしまった記事を書きましたが、この件にしたってやはり、聞こえないんだからあの仕事を外されても仕方ない、と自己正当化してしまっています……。
ただやはり努力でどうこうなるならやりようもありますが、残念ながら相手がいる仕事ではどうしても相手側の理解も必要になってしまうのは如何ともしがたいところ。
出来ないものは出来ないと認めることももちろん必要ですが、言い訳にし過ぎると周りに叩かれるので板挟みになってしまう困った問題です……。
※ただ、これは正直周囲の理解さえあれば仕事であっても特に問題にならないことが多いと思います。自己嫌悪にはなりますけど(-_-;)
現状考えられる対策はなにかあるの?
話がだいぶ難しくなってしまいましたが、書いている私自身もかなり混乱してくるほど、大きな矛盾と超えられない壁を感じる問題です。
多分ですが、こうした問題を回避するのは割と深刻に考える必要はなくて、
聞こえないからと言って特別扱いをしない
ことなのかもしれません。
口で言うのは簡単ですが、これは本当に難しいことです。物理的に不可能なことも存在しますので、そこはやっぱり線引きが必要です。
ですが自分で何でもできる聴覚障害者と何もできない聴覚障害者との差は
昔から普通の人に囲まれて普通に育ってきたかどうか
にあるような気がします。
生まれつき口話が出来なくとも、幼少期からの訓練次第で十分話せるようになりますし、現在の教育方法はかなり充実しています。
実は言語というものは、聞きとれなくてもまず自分が話せれるようになれば言いたいことが分かるという不思議な感覚があります。
例えば知らない英単語は何度聞いても分かりませんが、発音を覚えて自分で発音できるようになると、会話の中に混ざったときに「あ、あの単語だな」と聞き取れるあの感覚に似ています。
ですので、多分聞こえない人の教育において一番重要なのは
話せるようになること
なのではないかと勝手に思っています。
私自身は口話教育が必要なほど悪くなかったので偉そうなことを語れませんが、おそらく聴覚障害児が世間一般の常識を身につけられるかどうかは、正しい口話教育を受けて、物怖じせず一般学級に通えるかどうかで大分変わるのではないかと感じます。
ではそのためにはどういう育て方、どういう教育をしていったらいいのでしょうか?
難しい問題ですが、ここが聴覚障害者の未来を大きく変える分岐点になることは間違いないと感じています。
私自身も少し聴覚障害者教育の勉強をさせてもらって、可能であれば頑張って記事を書いてみたいと思いますので、よろしければまたお付き合いください。
ちなみに中途失聴者はそれまで自分の育ってきたバックボーンがあるのですから、こういう人が性格悪かった場合はもともとそういう人ですね。これは間違いありません。
だって私がそうだし。